後援会 概要
名称 | 飯沼 満 後援会 |
飯沼満後援会所在地 | 岐阜県安八郡神戸町神戸1119-1 |
飯沼満後援会電話 | 0584-27-5333 |
飯沼満後援会目的 | 本会は、心の豊かさとゆとりを実感できる町づくりのため、尽力している飯沼満の政治活動を支援することを、本来の目的とし、併せて会員相互の親睦を深めることを目的とする。 |
飯沼満後援会事業 | 本会は、講習会、座談会等の開催、会報等印刷物の発行、その他必要な事業を行う。 |
名称 | 飯沼 満 後援会 |
飯沼満後援会所在地 | 岐阜県安八郡神戸町神戸1119-1 |
飯沼満後援会電話 | 0584-27-5333 |
飯沼満後援会目的 | 本会は、心の豊かさとゆとりを実感できる町づくりのため、尽力している飯沼満の政治活動を支援することを、本来の目的とし、併せて会員相互の親睦を深めることを目的とする。 |
飯沼満後援会事業 | 本会は、講習会、座談会等の開催、会報等印刷物の発行、その他必要な事業を行う。 |
S29年1月 | 安八郡神戸町に生まれる |
神戸町立神戸小学校卒業 | |
神戸町立神戸中学校卒業 | |
大垣日本大学高等学校卒業 | |
岐阜経済大学経済学部卒業 | |
H1年1月 | 有限会社アイケン設立 |
H11年4月 | 神戸町議会議員初当選 |
H11年 | 下水道特別委員会副委員長 |
H12年 | 下水道特別委員会副委員長 |
H13年 | 産業建設委員会 |
下水道特別委員会副委員長 | |
H14年 | 産業建設委員会 |
広報委員会副委員長 | |
H15年4月 | 二期目当選 |
産業建設委員会 | |
H16年 | 議会運営委員会副委員長 |
H17年 | 産業建設委員会委員長 |
H18年 | 副議長 神戸町特別表彰 |
総務民教委員会委員長 | |
H19年4月 | 三期目当選 |
H19年 | 神戸町監査委員 |
産業建設常任委員会副委員長 | |
広報編集特別委員会 | |
神戸町土地開発公社監事 | |
H20年 | 議長 |
産業建設常任委員会 | |
H21年 | 安八郡広域連合議会議員 |
総務民教常任委員会 | |
広報編集特別委員会 | |
H22年 | 副議長 |
総務民教委員会 | |
議会運営委員会 | |
広報編集特別委員会 | |
神戸小学校建設特別委員会 | |
H23年4月 | 四期目当選 |
神戸町土地開発公社理事 | |
総務建設委員会委員長 | |
議会運営委員会 | |
H24年4月 | 自治功労者表彰 |
神戸町監査委員 | |
広報編集委員会委員長 | |
H25年4月 | 総務建設委員会副委員長 |
議長 | |
民生文教常任委員会委員 | |
安八郡広域連合議会議員 | |
H26年4月 | 農業委員会委員 |
民生文教常任委員会委員 | |
広報編集特別委員会委員長 | |
H27年4月 | 五期目当選 |
副議長 | |
民生文教常任委員会委員 | |
議会運営委員会委員 | |
広報編集特別委員会委員長 | |
養老鉄道存続特別委員会委員長 | |
H28年4月 | 監査委員 |
民生文教常任委員会委員 | |
議会運営委員会委員 | |
土地利用計画特別委員会委員長 | |
養老鉄道存続特別委員会委員長 | |
H29年4月 | 議長 |
総務建設常任委員 | |
安八郡広域連合議会議員 | |
岐阜県町村議会議長会長 | |
H30年4月 | 総務建設常任委員 |
広報編集特別委員 | |
養老鉄道存続特別委員会委員長 | |
H31年4月 | 六期目当選 |
監査委員 | |
議会運営委員会委員長 |
龍潭寺 「縁起」
当寺の歴史は古く、奈良時代行基菩薩開創と寺伝にある。
龍潭寺のある井伊谷は、古く「井の国」と言われ「井の国の大王」が治めた土地である。
平安時代井伊氏の元祖井伊共保が生まれ、井伊氏は遠江の有力武士として、すでに保元物語にその名を連ねている。鎌倉時代、源頼朝に仕え、南北朝時代には後醍醐天皇皇子、宗良親王を井伊城に迎え北朝軍と戦った名門である。
室町時代二十代井伊直平に帰依された黙宗瑞淵禅師が新たに龍潭寺の開山となり、遠州地方に京都妙心寺の流れをくむ臨済宗を広め、臨済宗妙心寺派の法灯を伝えている。
二十四代井伊直政は、徳川家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられる活躍をした。この直政を後見人として養育したのが、二十二代井伊直盛の一人娘井伊直虎である。龍潭寺二世南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機から救った。後に直政は徳川四天王の筆頭に出世、関ヶ原合戦の後、彦根に移る。
幕末井伊大老直弼が開国の偉業をなしとげる。龍潭寺は、その千年余り、四十代の祖霊を祀る井伊氏の菩提寺として、彦根龍潭寺と共に、その歴史を今日に伝えている。
福井県認定博物館、吉崎御坊「蓮如上人記念館」は、浄土真宗開立の祖である蓮如上人を偲び、上人ゆかりの地である越前吉崎に、平成10年に建立されました。
当館は、日本一の蓮如上人御真筆名号を所蔵する記念館であり、地元語り部による分かりやすい説明により蓮如上人のみ教えのみならず、吉崎の歴史と文化も学ぶことができます。
国指定名勝養浩館庭園(旧御泉水屋敷)は、数寄屋風建築や、回遊式林泉庭園をそなえる江戸時代中期を代表する名園の一つです。(現面積約9,500㎡)。かつては、福井藩主松平家の別邸で、江戸時代には「御泉水屋敷」と称されていました。御泉水屋敷の成立時期については詳らかではない点が多いのですが、3代忠昌時代に藩邸となり、芝原上水を引き込んで御泉水屋敷となったと伝えられています。
平成24年5月23日撮影
新日本三景 国指定名勝「三保松原」 | |
「二代目 羽衣の松」 | 「初代 羽衣の松」 |
遠江国一ノ宮「小国神社」 | |
神戸町の明日の考え、行動し、未来を創る
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平成23年7月6日撮影 伏見稲荷大社にて | |
宇治川 | 三羽仲良く遊んでいました。 |
平等院は永承7年(1052)、関白藤原頼道によって開創され、鳳凰堂はその翌年の天喜元年(1053)、阿弥陀如来(国宝)を安置する阿弥陀堂(国宝)として建立されました。庭園は浄土式の借景庭園として史跡名
勝庭園に指定され、現在、鳳凰堂周辺の洲浜や平橋・反橋、小島などが整備されています。
その他にも、平等院には、大和絵風九品来迎図(国宝)、梵鐘(国宝)、鳳凰一対(国宝)など平安時代の文化財が多数残っています。特に11世紀の仏像群としては唯一残る、雲中供養菩薩像52体(国宝)は、いずれ
も雲に乗り、様々な楽器を奏で舞うなど、伸び伸びと繊細に彫り上げられています。
【乗鞍畳平にて】平成22年5月18日撮影 | |
【乗鞍スカイライン車中より】 | |
平成21年4月16日撮影
推古天皇十年に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本田善光卿が難波の堀から一光三尊の御本尊様をお迎えしたのが元善光寺の起源で、その後皇極天皇元年にその御本尊様は現在の長野市へ遷座され、できたお寺が善光卿の名をとって「善光寺」と名付けられました。それから飯田の方の当山は勅命によって、木彫りで同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりましたが、仏勅によって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰りきて衆生を化益せん」というご誓願を残されたとのことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしなければ方詣りと昔から云われるゆえんであります。
飯沼満後援会は、神戸町の山王まつりにちなみ滋賀県大津市坂本の「山王総本宮 日吉大社山王祭」に、会員の皆様と共に平成16年、17年、18年と参拝させていただきました。
その節には、地元の皆様に大変親切に対応していただき、本当にありがたく感謝致しております。
本祭は、毎年4月12日・13日・14日に行われます。上の写真は平成18年4月14日に会員の方が撮られた写真を頂戴したものですが、熱気あふれる人々と七基の華麗な神輿の躍動は、言葉や写真では表せない程の感動です。
※写真左の鳥居は「山王鳥居」と呼ばれ、その美しい形は全国でも唯一のもので「総合鳥居」ともいわれ、
山王の教えと文字を鳥居の形にしたものです。
日吉大社は東西両本宮を中心に数多くの社殿が鎮座している。全国に三千八百余社の分霊社があり、その総本宮である。世にいう山王二十一社とは、上七社・中七社・下七社の総称であり、そのなかでも上七社は重要な位置を占めている。すなわち西本宮を筆頭に、東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮と続き、それぞれに神輿を有する。境内は、八王子山(牛尾山)を含む十三万坪で、国宝二棟(東西両本宮殿/日吉造)、重要文化財十七棟を有す。かつては境内百八社・境外百八社といわれ境内並びに坂本の町々までもが神々の一大拠点であった。